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波乱の社史
第3章 終戦へ
31 さざ波

1984年(昭和59年)になると騒ぎも一応治まり、普通の会社並の情況になってきた。同時に鳴門市大津工場の敷地が、手狭なのが目立ってきた。車が一杯だ。

その頃 旧知の友人で〈A海洋土木〉を経営するH氏から、不動産業者のKk氏を紹介された。

 

〈恩義〉の項で述べたが、彼は我が社の業要を聞いて「これだけの商売が出来て居て、金を貸さん銀行がおかしい。必ず土地も社屋も自社購入出来るから、任せなさい。」と、自信を持って言った。

銀行は 我々が正直な話をしても、疑って金を貸そうとせず、種々の困難な理由を付けて逃げる。

実は前経営者と同調してのイヤガラセだったのだ。

疑われる様な事は 一切してないのだが、[有力者が我社に対して,失敗した事での言い逃れ]を、100%鵜呑みにして 全くの被害者である我が社を誤解している。

彼は[そういう問題の無い住宅金融公庫]へ手続きをして、多少の小細工によって、最終的に400坪の土地と床面積172坪の鉄骨建築を手配した。

 

そういう[調子の良い話]は今までにも たくさん有り、いつも[有力者達の逆恨み]と嫉妬で邪魔されていたので、彼には悪いが我が社では何時駄目になっても困らない[半信半疑の体制]で臨んでいた。

ところが土地は手配出来た。それでも有力者達に邪魔されまいと、秘密裏に進行した。にも関わらず、売り主が急に変心し、売らないと言い出した。

そういう場合は〈手付金倍返し〉と、明確に契約書に書いて有るのに、売り主の元高校数学教師、H氏は「倍返しする気は無い。」の一点張りだ。

元の中堅不動産会社[I不動産]は、本来ならば信用上立て替えてでも〈倍返し〉を実行すべき処だが、世の有力者や銀行,大手の会社と同じで言い訳ばかり。

『近所に もっと安い土地が有る。』との話も有り、「あの地主と近所になるかも知れんし、最終的には裁判で絶対取れる。」との自信も有ったので、手付金そのもの実額のみ返して貰って一応引き下がった。

 

果たして次に本当に買った400坪の土地は、H地主と同じ町内会だった。その後 町内会で顔を合わすと、「次は買ってくれ」と言ってみたり 「いや 売らんで良かった」と言ったり,教師を定年退職した人物とは思えない。

町内会の中でも ひどい評判だった。これまた〈目上の人や有力者.大会社は人格が出来て無い〉という持論に合致した。

 

半信半疑? 順調に建築工事も進行中の頃、やはり〈恩義〉の項で述べた、D銀行が来社した。そして旧メインバンクのA銀行では、どうしても 300万円から増やして貰え無かった、手形の割り引き枠をアッサリ2500万円作ってくれた。

又 この建築に関しても「余分な資金が必要になりますよ。」と何百万円かを融資してくれた。我々素人が考えると不動産を入手しても、それと同額の借金が発生するのだから、差し引きゼロだ。

それが金融機関から考えると、どうして信用が有る事になるのか、解らなかった。[その借金を払っている。]という事実 が信用で、それを「借金も財産の内」と言うのだと聞いて、一応の納得は出来る。

では それ以前に〈信用の有る有力者.大会社.年長者が我々に何をしてきたか〉を考えると、そうとばかりは信じられない。

期せずして 我が社にも(正しいかどうかは別にして)信用が付き始めた訳だ。この辺からが転機で有り、何もかもが上手く回り始めた。イヤガラセが絶えて無くなったというべきか?

 

1985年(昭和60年)の年初から、新工場へ移転し操業を開始した。とは言っても この年、久し振りに赤字になる。幾つもの要因が重なった。

 

1.ベテランのパート社員は転勤出来ず、旧工場を非効率的ながら8ケ月遺した。

 

2.不動産代金以外に、かなりの設備資金が必要だった。

 

3.現地採用の社員が、急に集まらなかった。

 

4.掻き集めた新入社員が全社員の50%に達し、[生産性ゼロの社員]を教育する事と当面の生産、そして全員の給与稼ぎ、の全てを半分の旧社員が担った。

 

これだけなら我社の高収益性が、カバーしただろうが まだ有った。

 

5.年末に、難題を言い出し態度が大きくなり、退職させたベテラン社員が1名。この人物は、普通に平社員として入社した者としては、最高に仕事の出来る状態の者でしたので、近日、主任とかの初役付けも、考えられていた人物でした。・・・それが、どうした事か?当時の総務人事担当取締役の、筆者に対して訴えるところに依れば、「何とか言って欲しい。昼休みの時間を過ぎても、ずっと新聞を読んでばかりだし、何か不満が有る様な感じだから聞き出して欲しい」・・・っと言うのです。そういう事ならば、筆者に依頼してくるよりも、依頼してきてる人物本人の仕事なのですが、もしも、そういう返事でもすれば、今度は、その返事に関しての大論争を、起こされてしまい、そっちの仕事の方が、先の人物への事情聴取の何倍も時間を要すると判っていますから、先に人物に事情聴取しました。何が出るか?っと言えば、「利益率がもっと高い筈だ」の、なんの・・・ソンな事言ったって、利益を隠してる訳じゃなし、全く話にもならない!っで終わり・・・・。どうにもこうにも成らない。「誰かが隠してるとか、不正経理だ」とか言うなら、又、考えようも有ったのだが、彼の主張じゃ【現に晴れてる時に『ほら雨が降ってる』というような物で、何とも不条理な他に無いのだ】どうしようも無い。とにかく、その場にさえ邪魔で仕事にも成らないので、やめて貰ったのだった。誰に、こういう事を、吹き込まれたのだろうか???っとしか言いようも無い。誰にも得は無い事だった。

 

6.同じく、「大阪で仕事をしたい。」と言い出した若い役員が出て、関西事務所を設立赴任し1名。事務所経費も発生。

 

7.2ケ月後、[一人息子]のベテラン社員が、故郷へ帰る為 円満退社し又1名。この一人息子っと言うのは、親が病気になって、自分自身が世話をするしか無いという理由で辞めていった。会社を辞めれば、上手く行くのか?っと言うと、ずっと在宅出来て、出社しないで済むかららしい。自営業になったらしい事は、後に判明した。似た様な事は社員として在社しながら我が社の株を持つ事になった別の社員にも、発生した。此の後者の場合に、似ていて、違っていたのは、「近くにいる付き添いを、息子以外絶対に受け付けない母親」っと言う事で、よけいに難しかった。いずれも、在宅勤務という方法が確立出来れば、解決出来たと思われます。惜しい社員を失ってしまった。今後の妙案を期待しましょう。

 

8.結局 [新人の占める率]は 全社員中の70%になった。

 

9.大阪の関西事務所は役に立たず、担当役員は何日も音信不通が続き、その代わりに徳島からの大阪出張まで出たので、閉鎖して役員は呼び戻した。

 

10.戻った役員は一部の何も解らぬ新人社員を、喫茶店に集めて「我が社の機械は誤動作するので大阪で困った。」等と宣伝する行為をし、勝手な発言を繰り返すので、解任した。

 

これを多少の銀行借り入れと、役員による増資で賄って乗り切れた。赤字という悪事が発生したにも関わらず乗り切った事は、良い方向へ回っていた証拠だ。

以前だったら大揉めしていた。

 

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