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波乱の社史
第1章 大混乱の継業前後
1 呉越同舟の罠?法人設立

「ボイスチェンジャー」カタログ画像

1971年(昭和46年)鳴門市で電気店を営業していたY氏は苦心の末、大手も出来なかった《歌声入りレコ-ドから、歌手の声を消して自分の声を入れる》事に成功し《ボイスチェンジャ-》(後日、コロムビアが命名した商品名)を試作。

そして《日本コロムビア》と提携し、共通の商品名とした。

 

「プレイジューク」名刺画像当初は《朝日製作所》とか《プレイ・ジュ-ク》社等 2~3の社名を名乗って営業中心で やっていたが、コロムビアの生産する製品の 性能に満足出来ず、《朝日音響機器株式会社》を設立し 自社生産に移行した。

 

この旧法人の設立は1972年(昭和47年)2月の事で、発明者で実質経営者のY氏の実父を名目上の代表取締役社長に据えていた。が、しかし 実権は専務取締役としてのY氏が握っていた。『代表取締役』とは冠してない専務取締役なのだが…

 

当時の営業にはM(後 千代田火災社員),Sa(後 M精機社員),A(後もY電機社員),B,Sn(後 当社;現法人初代社長で,程無く退職)等が揃い、製造にはH(後 当社役員;更に後≪H製作所≫独立),技術はT 等が名を連ねていた。

 

一方Y氏は本業の家電店《有限会社・Y電機商会》の社長としても精力的で、当時 徳島市の《都電機商会》(後ミヤコ)と同等程度の 売上であったと聞く。

同社は会長に実父,専務に妻,常務に弟(後 Yレコ-ドとして分離独立)と、同族を揃えた経営だった。(会長は 名目上だけの存在だ)

又 同社の当時の社員から 《電化サロンO》,《Sm電機商会》等が、その後 独立自営している。

元々Y氏自身は同市内の《M電機》の社員として頭角を現し 独立したと聞いている。

そして 電気工事中心から店舗を構える家電店となり、《ボイスチェンジャ-》発明と共に、物を作る《朝日音響機器》併営に至った。

「ボイスチェンジャー」カタログ画像

当時《ボイスチェンジャ-》発表と共に、

★ソニ-《ボイスフェ-ダ-》,

★シャ-プ《ボイスマトリクス》,

★セガ・エンタープライゼス;現【セガ】《マジックマイク》,
★日本ビクタ-《ボ-カレスユニット》
・・・ と 真似商品が続く。

特許は まだ成立してない。

 

しかし ノウハウ面でY氏が 遥かに勝り、他社製品は次々と消滅していった。《朝日音響機器》も次々と 各種の《ボイスチェンジャ-》を発売するのだが、消え具合を確認してみる機会の多い家庭用は あまり売れず、ジュ-クボックス市場が 安定市場として定着してゆく。

 

在庫商品と部品がジャンクパ-ツに化けつつある中で、男子社員は 営業のSn(1ケ月に1週間の、県外ル-トセ-ルスのみの非常勤勤務)工場管理をしているHの2名となり、他には 製造要員の女子社員KとSk(共に 当時40歳位;)を残すのみとなった。

この女性社員2人は 特に教えられた筈も無かったが、自然に部品の名も カラーコード(部品の数値を色ベルト4本で示している。)も覚え、何の命令も無くて 適当にバランス良く製品在庫が出来る様に物を作るのだった。

こうした中で 1976年(昭和51年)《ボイスチェンジャ-》の特許が成立する。

まだ類似品を生産していた《セガ・エンタ-プライゼス》と《日本ビクタ-》の2社はOEM生産を依頼してきた。

この1976年(昭和51年)正月 筆者は勤務先である《松下寿電子工業》での転勤に際し、「泣き寝入りする者ばかりでは無い。」と捨て台詞(せりふ)を残して 退社。

4月には《那賀川電子》(後 大誠音響 更に、船井電機那賀川工場と改名)に再就職したばかりだった。

「ボーカレスユニット」カタログ画像ここで《徳島船井電機》時代の先輩であったHに転職挨拶の電話をしたのが、我社の前法人《朝日音響機器》入社の きっかけとなった。

その翌月の内に 平謝りの上、入社直後の《那賀川電子》を去った。

その2~3ケ月後に 筆者が設計をした機種★《ビクタ-・ボ-カレスユニット VL-103》と★《セガ・マジックマイク MM-2》の生産を開始する。

 

ところが半年後の11月になり Y専務が Sn、Hと筆者を呼んで言った。

1.工場に出勤しなくなり 久しく、現場の者との 気持ちのズレが大きくなった。この際 君らで、新しく やり直さないか。

2.営業権は全部譲る。工場は賃貸し,車両と備品,部品は順次売却。

3.相談の上 無理との結論なら、他の方法を考えてみる。

4.《ビクタ-》,《セガ》の受注は 多くとも、第2ロットで 終わるだろう。

5.現受注分を下請けするだけで 何等かの純益は揚がり、次の商売も出来る。後は 他の社員をクビにして、3人だけでジュ-クボックス屋等を すれば良い。そうなると今の工場は広過ぎる。どこか もっと家賃の安い所へ、出て行くと良い。

 

この話を聞いて 話とは別の考えを 胸に抱きながら受諾し、1977年(昭和52年)2月 新法人《朝日音響株式会社》を3人で設立した。

 

それはSn社長、H専務、河野常務(筆者)それぞれ100万円の出資で、登記上の本社を Sn社長の自宅;徳島市城南町に置いて出発した。本社登記を仕事場である、前法人の工場の位置へは、置かせてくれなかった。(ここ迄のSa,Sn,Sm,Sk,は、それぞれ同じイニシャルSの別人です。そして、これから先は 特に断らない限り SnがSとして、語られます。)

 

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