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論誤

浄瑠璃脚本清涼・備中水島「参礼小角」

(2010年8月)

JA5CLB 河野繁美

論誤・・・このタイトルからして既に誤ってますねえ。

正しくは論語です。

孔子や孟子の言い伝えです。孔子とは子牛じゃありません。

ソレなら、我が社の敷地内を流れる農業用水に、よく流れて来た奴です。

 

倭越同船 呉越同舟という諺も有りましたが、現実には、倭人と越人が
同じ船で瀬戸内海を行った話・・・を、別途、物語として、述べましょう。

倭越同父 上記の話と同じ倭人と越人の事ですが、父親は同じ人物だったという
奇遇の物語になります。

御期待下さい。

 

 

友情・備中水島「参礼小角」

 

・・・語呂が人形劇:傾城阿波鳴門「巡礼於鶴」に似てるでしょう。

「参礼小角」は「さんれい・オヅノ」なのです。

おつるとおづの

「さんれい」と言うのは現在の今治市大三島へ御参りに行こうとしている時の事で、
オヅノと言うのは、昔話(御伽噺)に出てくる、役行者(えんのぎょうじゃ)の事です。

この人物の本名が「えんのオヅノ」っと言う事からです。

オヅノの文字は通常は小角ですが、古文書を見ておりますと、
御逗膿になっていたり、更に他の字だったり、様々です。

何故かというと、日本に未だ文字が無かった頃の物語なのです。

口で喋る呼び名だけが先ず存在して、後から文字を付けて
文書として書き残されただけなのです。

大三島

因みに先出の御参・先地名の大三島は、当時は単に三島でした。

(現在の四国中央市に含まれる旧伊予三島とは全く違います。)

その三島にしても見島、御島など 何通りもの文字記述が
一つの古文書内にさえ3種も有ります。

 

西洋のユダヤ教やキリスト教の原点たる聖書にも
「始めに言葉在りき」っと言う文面が有りますが、
この事実は洋の東西を問わず人類共通の様です。

類人猿時代に、キャッキャッと言う様な吠え声から発達させてきた物が、
次第に あーうー という風に声として成立し言葉になった。

 

この何十年かの内の日本人の首相にも、
そう言う言葉ばっかり喋っていた人が居ましたね。

(エッ?その人、顔も類人猿風だったって?・・・失礼しました!)

あ~う~

ソレが段々と、意味のある言葉という文章になって行き、
次には、それをを記録する為に文字が出来た・・・と云う歴史順序なのでしょう。

 

話が前後する様に見えますが、登場人物を、紹介しましょう。

 

【役の小角】

役の小角

和歌山県葛城山で修行して法力を得たと言われる、
山岳修験道の開祖とされる人物です。

お伽噺にも古文書にも同じ様な話が出ている事から、
空中を飛ぶ等の法力は兎も角としても、
実在人物の可能性は高いと思われます。

※2010年8月7日付 徳島新聞の記事にも、実在の人物として載っていました。
※阿波では、吉野川市山川町の高越山が、役の行者による行場です。

 

【小千玉興】・・・役の小角 の 友人

 

小千玉興

現在も愛媛県に多い越智の文字を書くオチ氏では無く、
それ以前に、奈良県に居たとされる小千 又は 
小市と書く一族と思われる。

 

そのオチ守興という人物が渡海して大陸へ渡り、
朝鮮や中国を攻めた話が古文書に残っている。

 

古事記や日本書紀に言う神功皇后の三韓征伐のような時期の
事かも知れない。

 

いずれにしても、大和朝廷(天皇家)が成立するかどうか?
という、縄文から弥生時代の事らしい戦闘の記述が多く見られるし、
朝鮮側の歴史書「三国史記(中国の三国史/三国志演義とは別物)」とは
一致点が見られる話も多い点は注目に値する。

 

・・・・此処に登場するのは、この小千守興将軍の日本での息子:小千玉興と、
中国・越の国での現地妻との間に生まれた息子で、
兄(玉興)によって、玉澄と名付けられた弟の不思議な出会いの物語です。

 

それは、無実の罪の友人:役の小角を庇ってやるという
友情から生まれた奇跡の物語です。

良い事は、する物ですよね・・・・

 

浄瑠璃脚本清涼・備中水島「参礼小角」

始めに・・・この物語は、大昔の事で、よくは、解りませんが、
幼児向けの御伽噺に出てくる役行者の事が、
その御伽噺の中の出来事に対して矛盾無く語られている歴史古文書も有る事から、
何らかの歴史事実に基づく物とは思われます。

 

第一章 役の行者の業績

此は一般的な御伽噺本などでの内容の集積ですが、
本名:役小角は山での修行の結果、色々な法力を身に付け、
例えば一晩の内に和歌山から富士山まで飛んで往復するなど出来たとも言います。

法力

この山岳修験道というのは我が国古来の神道の一種ですので、
後に中国朝鮮を経て渡来した仏教とも同様に、
宗教的法力を持って、病気を治す・・・等という側面も持っていたに違い有りません。

古代の宗教者というのは医者でもあり、科学者でもあったのです。

そういう意味で、役行者も又、この意味で、名が上がるに連れて、
一般民衆の間で評価を受け、ソレが都にも聞こえる評判という状況に在った筈です。

 

そんな状況の中で、この物語は起きた訳なのです。

ある時、役の行者は、チョットした弾みか?
「葛城山と金峰山の間に一晩で石橋を架けて見せる」ッという大言を
民衆に向かって発してしまいました。

お調子に乗ってしまったのですね。

 

都では帝(天皇)が、「民を惑わせ、朝廷に反逆する輩だ。捕まえて罰せよ」ッと叫び、
役人を差し向ける事になりました。

 

果たして、やはり、石橋は架からず、「この詐欺師め!」ッと捕縛されてしまい、
行者は遠島と決まってしまいました。

ガックリと落ち込んでいる行者・・・

其処へ表れたのは行者のポン友(朋友)の小千玉興です。

 

周囲の役人に対しても、
「小角は、そんな大それた事を、しない。冤罪じゃあ」っと
申し開きをして庇ってやると共に、小角本人を慰めてやります。

「御前は何も悪うはねえ。今から三島神社さ、お願いに行こうぜ、ヨーク効くンじゃ」

 

そこで、摂津の港で船便を探しますが、載せてくれる船が有りません。

「ありゃあ罪人ジャ。あれを載せると、儂らも同じ罪人になる。

見ろ、小角を庇うた小千の奴も一緒に罪人にされておる」って、話です。

 

それで、摂津の港で、チャーター出来たのは、国内事情に無関係な外国船だけでした。

(摂津の港というのは、今の大阪市・中之島付近ですが、当時は中之島が出来ておらず、
水深も深かった為、外洋船が入港していたのだそうです。)

 

それでも、未だ「罪人を乗せている」と言う事で沿岸各港での補給は拒否されており、
とうとう、現在の岡山県沖を過ぎて、船内の飲料水が切れてしまいました。

 

困った玉興は困ったときの神頼み・・・

これから小角の事を頼みに行こうという三島神社の祭神を念頭に置いて、
持った弓を海中に入れ海水を掻き混ぜて祈った!!!

水島

すると、アラ不思議、その掻き混ぜた海水の渦の中から噴き出す水。

飲んで見れば、アラ美味しい真水!・・・・

 

続いて神の託宣・・・
「玉興よ! この水は御前の故郷:伊予国玉縄山の麓に湧く水ぞ。

それが、此処まで巡ってきて湧き出たものぞーーーー

…【予】州の【里】は【水】に【可】し。そこに住めば水に困る事無し。」
っと告げられたのでした。

 

それ以来、この付近の海を、皆が「水島の瀬戸」と呼ぶ様になったそうです。

今の岡山県・水島コンビナートですね。

 

その一方で、神の託宣「【予】州の【里】は【水】に【可】し」から、
この4つの文字(偏と旁)を組み合わせて河野の文字が出来ました。

【水】に【可】で河。 【予】と【里】で野です。

予州の里

その、真水を得た当時の時点で、玉興は喜んでチャーターしたから船の船頭に
「処で船頭、アンタの素性は?・・・」ット、初めて聞いてみました・・・

すると、この中国人、「実は私は ある時中国へ攻めてきた倭国の将軍の
子供で御座います。母は越の国の遊女で御座いましたが将軍様に見初められて
私と兄を生み、暮らしておりましたが先年他界しました。

それで私ども姉弟は、父を捜して、この倭国まで、訪ねてきていたので御座います。

摂津の港にもう一隻、唐船が居たで御座いましょう。あれが兄の船で御座いました」

「オオ感心な!而して、御父上の名は?」

「確かオチモリオキと申します」

「まま、ま、・・まさか!それは、我が父の名!何か証拠の品は?」

「此処に母が預かりし短剣が」

「まさしく!・・・しかし品物のみにては・・・・」

「それならば、父の書き付けも御座います」

「むむっ、これは正に、父の筆跡に間違いない。おぬしは儂の弟か!」

ット言う事になり、兄の玉興が越国人の弟に和人名として玉澄と言う名を付け、
先に託宣から得られた性:河野を名乗らせて、伊予国の軍事を分権担当させる事にした。

 

玉興本人は従来の姓:小千の文字を
この際、越の国に因む文字の越を採用して 越智 と変更し、
神職の方を分担担当する家とした。

これが、現在愛媛県に多い、河野・越智の両姓の始まりなのでした。

 

又、本県徳島県にも河野と書いて、ヨミはコウノでなく、カワノと読む場合が多いのですが、全国的に見れば、宮崎県と大分県は、殆どがカワノであるとの統計です。

 

上記の物語から考えれば、「この河野姓の始まり」と言うのは
漢字から始まっている極めて珍しい例です。

 

先述の様に言葉というのは元々喋り言葉から始まるという例から外れているわけです。

更に、姓(苗字)という物が殆ど地名か発生しているという事実からも、
外れて逆なのが、この【河野】なのでした。

「河野川」という小さな河川が今治市付近の山奥(託宣の玉縄山の麓)に有るのは、
託宣により住み着いた後の事みたいです。